なぜ民衆法廷で開くのか
戦争犯罪に対しては真相究明と補償と処罰の三つが最小限必要というのが国際的な流れで、それは1995年北京での国連世界女性会議の行動計画にも書かれています。ところが、そのどれにも日本政府は応じていません。まず、真相究明については、軍の関連資料などを一部公開しただけで、戦争犯罪であると認めていません。
二番目の補償の問題は、各国の被害女性たちが日本政府を相手どって損害補償を求める民事訴訟を日本の裁判所に10件も起こしていますが、これまでの判決のほとんどが被害者の請求をしりぞけ、国家の責任を認めていません。司法に期待できないなら、法律を作って補償しようと、補償立法運動が行われていますが、成立の見通しはなかなか困難です。
三番目の処罰にいたっては、戦後日本では戦犯処罰はタブーでした。東京裁判で天皇が戦犯リストから外されて裁かれなかったこともあって、日本政府として戦犯を誰一人処罰しませんでした。A級戦犯がのちに首相になったぐらいです。裁くどころか、戦犯を含む戦死者を靖国神社に祀って英霊、軍神として称え、また、遺族には巨額の恩給を払い続けて、その総額はアジアに支払った賠償総額の四十倍といわれています。
このように、加害者処罰は、被害者に正義を回復するために必要なのに、日本の裁判所は、民事裁判でも国家の責任を認めないぐらいですから、刑事裁判で処罰を求めることなど期待できません。国際戦犯法廷の設置も、50年以上前の戦争犯罪であることや、各国の政治的な利害からも、可能性は低いのです。ということで、国家も国家の連合体も裁かない以上、市民に裁く権利と責任があると考えたのです。
そこで、ベトナム戦争中に米国などの戦争犯罪を裁くため、英国の哲学者バートランド・ラッセルや、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルの提唱で1967年に開かれたラッセル法廷のような民衆法廷を参考に、女性たちの力で「女性国際戦犯法廷」を開くことにしたのです。「女性国戦犯法廷」はラッセル法廷のように西欧知識人中心ではなく、加害国の女性の提唱で、被害国の草の根の運動と連携し、国際女性運動の協力を得て開いたグローバル市民社会による民衆法挺です。
国家の裁判と違って、強制力もない単なる模擬裁判に過ぎないという批判もありました。しかし、「女性国際戦犯法廷」は法廷憲章に基づき、被害者本人が証言し、数々の証拠資料が提出され、世界的に著名な国際法などの専門家が、「慰安婦」制度について事実を認定し、戦争当時の法に基づいて判決を出したのです。したがって民衆による本物の裁判で、むしろ、国家の裁判と違って政治的な思惑などに左右されない厳正な判断が下されたのです。
[ 無断転載禁止 ]