昭和天皇は、なぜ「有罪」になったのか
昭和天皇は、明治憲法の下で、戦前の国家元首であるとともに、日本陸海軍を指揮・統帥する最高統帥者=大元帥でした。ここで重要なことは、天皇が軍部の単なる傀儡(=ロボット)ではなかったことです。天皇は、軍部の提供する軍事情報と自らの戦略判断に基づき、「御下問」「御言葉」を通じて国家意思決定(戦争指導・作戦指導)に主体的に関与し、時には作戦計画・内容を左右する影響力を行使していました(『大元帥昭和天皇』新日本出版、1994年ほか)。
しかし、東京裁判では戦犯として昭和天皇を訴追しませんでした。日本社会では天皇の戦争責任はタブーとなり、「法廷」は初めてこのタブーに挑戦したのです。「法廷」は、性奴隷制と集団強かんという戦時性暴力について、その最高責任者である昭和天皇に対して、「人道に対する罪」で「有罪」であるという、歴史上初めての判決を下したのです。- 判決された内容について
- 昭和天皇の責任について「判事団は、天皇がさまざまな犯罪を知らなかったか、犯罪を防止する権限がなかった傀儡に過ぎなかったという主張をはっきりと却下する」として、膨大な証拠により、昭和天皇は慰安所の設置、管理などについて「知っていたか、または知るべきであった」と指摘し、個人としておよび上官としての刑事責任で有罪と認定しました。慰安所の設営・管理を阻止すべき義務を怠ったことによって女性たちの被害を招いたというのです。
ただ、マパニケでの集団強かんについては、知るべきであり、阻止すべきであったとして上官としての刑事責任は有罪と認定しましたが、命令など個人としての責任は証拠不十分としたのです。 - 「法廷」にて
- 共通起訴状で昭和天皇を①性的奴隷制と②フィリピン・マパニケの女性に対する集団強かんについて「人道に対する罪」の刑事責任で起訴しました。また、各国起訴状でも、昭和天皇をそれぞれの事案で起訴しています。
「法廷」の審理では、①に関して三人の専門家証人が証言しました。
山田朗さん(明治大学教授)は、天皇の侍従や外務大臣などによって天皇が南京事件を認識していた可能性、皇族ルートで天皇が慰安所や日本軍の残虐行為を認識していたことを示す証拠、戦場で日本軍による強かんその他の残虐行為がたくさん起こったために軍紀の乱れを正そうと「戦陣訓」(1941年)をつくり全兵士に配布したこと、また強かん罪を強化した陸軍刑法が改定(1942年)されたこと、そしてそれらを許可したのが天皇であったことなどを明らかにしました。
林博史(関東学院大学教授)さんは、「日本軍の構造」について証言し、慰安婦制度が日本軍ならびに日本政府の諸機関による国家ぐるみの行為・犯罪であったと結論づけました。
吉見義明(中央大学教授)さんは、「慰安婦」制度について証言し、慰安所設置に関わった他の被告人との関係で、証拠となる文書類を示しながら天皇が彼らの上官であったことを証言しました。
[ 無断転載禁止 ]