「法廷」を開いた動機

 


  • 「法廷」を開いた動機は、被害女性たちの正義、裁きを求める声に応えることでした。
    日本では、日本軍性奴隷制である「慰安婦」制度そのものを、単なる売春婦だとか公娼制度だと見なして、戦時性暴力であり、女性に対する戦争犯罪であるという歴史的事実そのものを否定し、あるいは隠蔽してしまおうという動きが強まり、教科書からも記述が削除してしまう事態になったからです。「慰安婦」は売春婦だというマンガ本が何十万部と売れ、「慰安婦」問題の集会では右翼団体が来て「慰安婦は売春婦だ!」「金をまた要求するのか!」といった侮辱的な言葉を叫んでいます。「慰安婦」問題がタブーになりつつあり、歴史教育で戦争などの現代史を十分学ぶ機会のなかった若い世代の中には、そのような見方の影響を受けている人もふえています。

    加害国日本でのこのような事態は、被害女性たちにとっては、とうてい耐えがたい屈辱です。それはセカンド・レイプともいえる暴力です。自らの人生を奪った性奴隷制、「慰安婦」制度が一体どういうものであるかを明らかにしてほしいという彼女たちの切実な気持ちは当然のことでしょう。


  • 2.戦時性暴力の不処罰に終止符を打つ
  • 戦後、女性たちがノーと声をあげ、戦時性暴力不処罰をそのままにしてはならない、加害者をきちんと裁くべきだという女性運動が国際的に広がりました。
    こうした状況をふまえ、「法廷」のもうひとつの目的は、戦時性暴力の不処罰に終止符を打ち、そのような戦場での暴力を防ぎたいという世界の女性の人権問題に貢献することでした。グローバルな市民社会による民衆法廷ですが、女性が中心になって開いたことは、国際法を男性中心から女性の手にという意気込みがありました。
    実際、今日世界各地で武力紛争が頻発して、女性たちにすさまじい暴力が加えらているので、「法廷」で三日間、審理が行われた翌日、「現代の紛争下の女性に対する犯罪」国際公聴会を開いて、15の紛争地域の性暴力被害女性の証言を聞きました。どの証言も集団強かんや性拷問など残酷きわまりない体験ばかりでした。50年以上前の「慰安婦」制度の不処罰が現在も戦場で暴力が猛威をふるうことにつながっているともいえます。従って、過去から現在、そして未来へ向かって、ジェンダー正義を実現させることを、「法廷」は目指したのです。
  • 1.日本政府に賠償などの法的責任を!
  • 一つは、「慰安婦」制度がどんな犯罪で、だれに責任があるかをはっきりさせて、日本政府に賠償などの法的責任をとらせるという日本の戦争責任に関わることでした。
    戦犯の処罰は、日本ではタブーであり、「慰安婦」制度についても、日本の裁判所は、政府の言い分をそのまま鵜呑みにし、国際法を問い直す国際的な潮流から取り残されたような時代錯誤の解釈をとり続けています。ほとんどの判決で国家の賠償責任(民事責任)を否定しており、ましてや、刑事責任、つまり、責任者の処罰を日本の裁判所に期待することなどはできません。実際、韓国の女性たちが、1994年に告訴・告発状を日本の検察庁に持っていったときに、東京地裁は受け取ることさえ拒否したのです。


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