被害女性たちが話した「法廷」での証言
東京での「法廷」には8カ国から64名のサバイバーが参加しました。その中には、初めて名乗り出た東チモールの被害女性二人や、中国に連行されてそのまま残留した朝鮮人「慰安婦」などもいました。
また、日本人「慰安婦」は、ほとんど名乗り出がなく、被害者本人は出廷しませんでしたが、日本検事団がその手記を紹介し、資料を示すなどして被害実態を明らかにしました。
ハーグでの「法廷」には、パプア・ニューギニアの「慰安婦」被害女性の孫や、タイで被害女性を初めて発見した研究者二人も新たに参加しました。- 実際の証言
- 「法廷」での女性たちの証言は、それがいかに多感で未成熟な少女時代に受けた被害であるのかを浮かび上がらせました。
●当時12歳だった北朝鮮在住の金英淑さん
「私があまりに幼かったため、軍人は私の性器を刃物で切り広げて強かんした」
この証言により、「慰安婦」制度は、子どもに対する性暴力という側面を世界に印象づけました。どの証言も、慰安所での生活はまさに権力と暴力による身体の奴隷化であることを明らかにするものでした。
●東チモールのエスメラルダさん
「私たちはまるで動物のように扱われた」
●フィリピンのマキシマ・レガラさん
「私はいつも痛みで泣き叫んだ。彼らに剣銃で突かれ、いつも震えていた」
●インドネシアのスハナさん
「暴力から身を守ろうとすると殴られ平手打ちをされ、身体はボロボロになった」
●韓国の文ピルギさん
「言うことを聞かないと赤く焼いたものを背中に押し付けられた」
「なぜ逃げることができなかったのか」という疑問に対して、
●金福童さん
「逃げようとしたけれど捕まってしまった」
というように、逃亡をはかった女性には凄惨な懲罰が加えられたのです。たとえ、鉄格子がなくても、言葉も通じない異国の戦場で逃げることなど不可能でした。それこそがまさに自由を奪われた奴隷制度だったのです。
●中国山西省の万愛花さんは三回逃亡して、三回とも連れ戻されました。
三度目に捕らえられた時、
「軍人は私を銃床で殴り、足を蹴り、太い棒で押さえつけていすに座らせて拷問した。そして私は裸にされ庭の木に吊るされ、何も分からなくなるまで殴られた」
と証言して、気を失いました。
強かんの日々の中で、妊娠、流産、死産、中絶、子宮摘出など女性のリプロダクティブ・ヘルスを損なうような苦痛の体験の証言もありました。台湾の盧萬妹さんは慰安所で妊娠させられ、生んだ子どもは間もなく亡くなりました。インドネシアのマルディエムさんは妊娠して、無理やり中絶させられました。
このような女性たちの苦しみは戦争当時に限らず、今日まで続いているのです。
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