「法廷」にどんな証拠を出したのか
今回の「法廷」は、民衆法廷ですが、刑事裁判の形をとっていますので、被告人を起訴するためには、はっきりした証拠が必要でした。とくに、「法廷」が開催される前の2000年10月にハーグで開かれた判事団会議では、有力な証拠がなければ被告人に有罪判決は出せないことが確認されました。- 「法廷」の記録をどう保存するか
- 「法廷」参加各国が集めた膨大な文書資料と被害証言は、歴史的な記録として整理・保存して一般に公開するために、女たちの戦争と平和資料館を作りました。文書資料だけでなく、ビデオや録音テープなどを集めたアーカイブスも併設しています。
「法廷」を通じて集められた貴重な記録は、国家による戦時性暴力の動かぬ証拠として歴史の闇に埋もれさせず、私たちの記憶と歴史に刻み込んで、再発を許さないために後の世代に活用されるでしょう。そのような記録の発掘と保存にさらに努力を続けていく必要があります。 - 各国から「法廷」に提出されたもの
- ●被害者の証言(ビデオ証言含む)
●加害を示す日本軍・日本政府の公文書資料
●日本軍兵士の加害証言・資料
●専門家証言
●資料など膨大な量の人証、書証、物証
「慰安婦」制度の全体に関わる証言として貴重だったのは、元日本軍兵士二人による証言でした。二人は、強かんは日常的に行われていたが上官は黙認していたこと、またそれは民族的な蔑視感に基づいていたことなどを証言しました。 - 「法廷」に証拠を提出するために
- 「法廷」は戦争の記憶を抹殺しようとしてきた大きな力との闘いであり、挑戦でした。 敗戦時、「慰安婦」制度に関わる公文書の多くは、日本軍と政府によって組織的に廃棄・焼却されました。しかし1990年代、「慰安婦」問題が国際的な政治・社会問題になってからは、日本の研究者による資料発掘が進み、「慰安婦」裁判の過程で被害証言の聞き取りや現地調査が行われてきました。被害国でも、支援団体や政府が被害者の申告を受け付け、証言を記録してきました。
「法廷」は証拠によって事実を認定し、厳密な法手続きの上、責任者の罪を問う刑事裁判の形をとったため、個々の被害ケースの証拠集めが必要でした。そこで被害国検事団は「法廷」で審理する被害ケースを選び、日本の調査チームはそのケースを裏づける日本軍の資料を発掘する、という大変な調査に取りかかったのです。
それは、国境を越えた多くの人びとの協力による草の根の調査活動でした。その過程で、フィリピン・マパニケ村への戦闘詳細をみつけ、集団強かんの加害部隊を突き止める手がかりを得たり、ビルマ戦線で連合軍の捕虜となった朝鮮女性たちの 写真で妊娠している「慰安婦」が北朝鮮に生存していることを確認したり、東チモールやマレーシアでの被害証言が初めて公表されるなど、新事実が発見されました。
また、今回の「法廷」の特徴の一つは、ビデオ証言が採用されたことです。来日して「法廷」で証言することが難しいと思われる被害者の場合には、日本から調査団がビデオチームと一緒にその国に出かけて証言ビデオを撮りました。こうした努力の結果、膨大な証拠文書とビデオが「法廷」に提出されました。
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