「慰安婦」問題 関連年表
「慰安婦」問題に関わる事柄をまとめました。1931年 9月 満州事変 1932年 1月 上海事変
上海派遣軍、軍慰安所を開設1933年 4月 中国東北の平泉に軍慰安所を開設 1937年 7月 盧溝橋事件 12月 南京事件
中支那方面軍、軍慰安所設置を指示1938年 10月 日本軍、武漢三鎮と広東を占領
武漢と広東に慰安所設置1939年 2月 日本軍、海南島を占領、慰安所設置 9月 第二次世界大戦はじまる 1941年 7月 軍中央が南方占領地での軍慰安所設置方針を出す 12月 太平洋戦争はじまる 1942年 2月 シンガポールに慰安所設置 12月 中国雲南省の拉孟陣地に慰安所設置 1944年 3月 沖縄で慰安所の設置、本格化 1945年 8月 日本、無条件降伏 1946年 5月 東京裁判開廷 1965年 6月 日韓条約締結 1971年 7月 城田すず子さん自伝『マリヤの賛歌』出版 1975年 10月 ペ・ポンギさん、沖縄で特別在留許可を申請し、元「慰安婦」と判る 1980年 ユン・ジョンオクさん、「慰安婦」調査を開始 1985年 8月 城田すず子さん、かにた婦人の村に「慰安婦」鎮魂碑を建てる 1990年 5月 盧泰愚大統領訪日
韓国挺身隊問題対策協議会発足6月 国会で「(慰安婦は)民間業者が連れ歩いた」と政府答弁 1991年 7月 内閣外政審議室が「慰安婦」調査を開始 8月 韓国の金学順さん、「慰安婦」被害者として名乗り出る 12月 金学順さんら補償請求訴訟 1992年 1月 宮沢首相、訪韓し「慰安婦」問題でお詫びと反省を表明
ソウルの日本大使館前で水曜デモはじまる
吉見義明さん、日本軍の慰安所設置関連資料を発見する7月 内閣外政審議室が第一次調査を発表 8月 第1回アジア連帯会議開催(韓国) 10月 ナヌムの家開設(ソウル) 1993年 6月 国連世界人権会議(ウィーン)
性奴隷制の人権侵害への対応を盛る8月 内閣外政審議室第二次発表
河野官房長官、強制性を認めるおわびと反省の談話を発表1995年 7月 「国民基金」発足
「国民基金」への反対運動が広がる8月 村山首相、アジア諸国に対するおわびと反省表明(村山談話) 9月 北京女性会議で行動綱領を発表 1996年 2月 国連人権委員会「女性への暴力」特別報告者・クワラスミ報告 3月 ILO専門委員会、日本政府に勧告 6月 「戦時性的強制被害者問題調査会設置法案」参議院に提出 12月 新しい教科書をつくる会 発足 1997年 4月 中学歴史教科書のすべてに「慰安婦」が記述される 1998年 4月 関釜裁判、山口地裁下関支部が元「慰安婦」に慰謝料支払いを命じる 8月 国連人権小委員会でマクドゥーガル報告 1999年 周辺事態法、住基台帳法、盗聴法、国旗・国家法の成立 2000年 12月 東京で女性国際戦犯法廷、国際公聴会開催 2001年 3月 野党3党、「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律」案を参院に提出 12月 女性国際戦犯法廷の最終判決 2002年 9月 日朝首脳会談
拉致問題が明るみに出る2003年 有事関連三法、イラク復興支援特別措置法成立 2005年 中学歴史教科書から「慰安婦」の用語が無くなる 2006年 12月 改定教育基本法成立 2007年 3月 安倍首相、国会で「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行く(狭義の強制)連行はなかった」と発言
「国民基金」、事業を終了し解散6月 ワシントンポストに日本の国会議員や文化人が意見広告 7月 アメリカ下院本議会で日本政府に謝罪要求を決議 11月 オランダ、カナダで謝罪要求を決議 12月 EU議会で決議
沖縄戦の「集団自決」での「軍強制」の文言を教科書から削除する検定2008年 2月 ソウルの水曜デモ、800回を数える 3月 宝塚市議会で日本政府に誠実な対応を求める意見書を可決 6月 清瀬市議会で日本政府に誠実な対応を求める意見書が可決される 10月 韓国・国会女性委員会で決議
慰安婦に関する韓国議会で決議
国連・自由権規約委員会から「慰安婦」問題への初勧告11月 札幌市が「慰安婦」に関する意見書を提出
慰安婦に関する台湾議会の決議
第9回「慰安婦」問題アジア連帯会議2009年 3月 福岡市議会で日本政府に誠実な対応を求める意見書を可決 6月 箕面市議会で日本政府に誠実な対応を求める意見書を可決
三鷹市議会で日本軍「慰安婦」問題に関する意見書を可決
小金井市議会で日本政府に誠実な対応を求める意見書を可決7月 国連女性差別撤廃委員会(CEDAW、於ニューヨーク)の日本審査で、日本政府に対し、「慰安婦」問題の真摯な解決を含む積極的な男女平等政策を求める。 2010年 6月 22日、沖縄・読谷村、「日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす法制定を求める意見書」可決。ほか市町村でも意見書等可決相次ぐ。 8月 10日、「韓国併合」100年を前に発表された菅首相談話、「慰安婦」問題に言及せず。 13日、韓国・ソウル特別市、「日本軍「慰安婦」被害者の名誉回復のための公式謝罪及び賠償要求決議」可決。ほかの道・市等の議会でも決議相次ぐ。 10月 13日、大阪市会、「日本軍「慰安婦」問題の早期解決に関する意見書」可決 11月 25日、「慰安婦」問題の立法解決を求める国際署名、61万筆を日本政府に提出。 12月 5日、女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム(於東京) 2011年 3月 11日、東日本大震災が発生し多くの方々が被災。被災した宮城県在住の被害者宋神道さんの生存が9日ぶりに確認される。 8月 13-14日、第10回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議(於ソウル) 30日、韓国憲法裁判所、韓国政府が被害者の求める解決のため努力しないのは違憲と決定。以後、韓国外交通商省は日本政府に交渉をはじめる。 12月 14日、水曜デモ1000回アクションがソウルをはじめ世界各地で開催。ソウルの日本大使館前に「平和の碑」建立。東京では外務省を包囲する1300人の「人間の鎖」。 18日、日韓首脳会談(於・京都)で、李明博大統領が「慰安婦」問題の優先的解決を求めたが、野田首相は「決着済み」と主張、平和の碑の「撤去」を求めた。